先日、とあるお店に言ってきて、二人のお客さんとのお話を。
お二人に共通しているのは、所得が高いということ。
御着物も、たくさん持っているということ。
まず一人目の方は、うちの着物を気に入ってくださった。
でも、結果からすると、キャンセルになってしまいました。
理由は、
「店員から、まるで、品物のように扱われているから。」
この方は、帯結びが出来ないんだそうです。
だから、帯はいつも、作り帯にされてしまうらしいです。
ご本人に、着付けを習う意志が無いかといえば、そうではなく、むしろ、習いたいのだそう。
けど、お店の担当からは、一向にそういう言葉が無い。
長い付き合いの中で、帯の結び方一つ教えず、高額な帯を勧めているのです。
この方のだんなさまは、こう言われたそうです。
「本当にほしいと思ったなら、100万の帯でも買ってやる。
けど、箪笥の肥やしにするならやめておけ。」と。
うちの作品も、僕らのことも、愛着を持ってくださり、買うことの出来る方が、何故、キャンセルをしたか?
店員に腹を立てている、と、お二人は口を揃えて言いました。
もう一人のお客様は、こんなことがあったそうです。
昔、付き合いのあった着付けの先生に、京都の、着物を売っているところへ連れて行かれたそうです。
そこで、一緒にいた5人の生徒達は、皆着物を勧められたそうですが、買わなかったそうです。
そこで、その先生は、ほかの人を帰らせ、その方だけを残らせたそうです。
「買いなさい。」と。
「以前買った、200万の結城紬に合わせて、この帯を買いなさい。」
と。
結局その方は、買わなかったのですが、その先生に、こう手紙に書いたそうです。
「もう少し、人間的な温かみのある関係を大切にしてほしかったです。」と。
それ以来、その先生から連絡は来なくなったそうです。
お話中、いつも伏せ目がちだったその方は、僕の目を見て、言われました。
「あんなにたくさん買ってきたのに、お商売って、そういうものですか?」
その言葉は、勿論否定です。
あまりにも早く否定したくて、言葉がどもりました。
そして、僕が昔、出会ったお客様も、この方と同じようなことを言っていて、僕と出会ったとき、その状況が変わったこと。
それ以来、九州に行くたび、会いにきてくださることを話しました。
「私も、そんな風なのが良かった。」
そう言ってくれはりました。けど、過去は変わりません。
お二人の例は、もう、あまり珍しくはありません。
たまに、見るからです。
全部、おなじ小売店で、ですが。
情けない店員を大量生産しているということでしょう。それで、売り上げの記録をデカデカと表示して、
厚顔無恥もいいところ。
もっとも、この会社も、売り上げ全国一の方などは、常にお客様にお土産をあげたり、持ってきてくれたりする関係を築いています。
「お客様」
この言葉には、たくさんのスタンスを含むと思います。
僕にとっては、大切な人たちです。
ちゃんと繋がれた人たちとは、また会いたいと、心から思っています。
出来ることなら、もっと喋りたかった、と思うことがいいつもあります。
作品に嘘はつけない。
その作品を好きになってくれた方とは、必ず仲良くなれます。
それは、一件不思議ですが、実に理論的なことなのです。
でも、これが、「店員」という立場になると、全く状況は変わります。
「お客様」=「お金」
になるのです。
自分が好きでもないものを売らなきゃいけない。
買ってくれれば、それで良い。
すんなり買ってくれる人に、色々時間をかける事は無い。
こういうわけです。
(最も、僕の好きな店員の方々の名誉にかけて誓いますが、良い店員さんたちは、ちゃんといます。
ここに書いているのは、どんな世界にもある話です。)
「店員」というのも、色んな方がいらっしゃいますが、そのスタンスを保つのが、難しいのかもしれませんね。
こんなことをつらつら書いて、言いたいことは一つ。
帯をご自分で結べない方。
どうぞ、ご贔屓のお店の店員さんに、教えてもらってください。
教えてくれないお店と付き合うかどうかは、ご自分次第です。
ついでに言えば、このブログを読んだ、このブログに出てくる販売員のような人が、
自分を恥じて、スタンスを変える、まともな神経を持っていることを願います。
売ることばっかに終始して、心を失っている小売店の偉いさんにもね。