たまには徒然と書いてみようと思います。なぜなら、バタバタしてると、こういった投稿減ってしまうのですが、5年ぶりくらいに風邪をひいたので。それも、一歳の次女は水ぼうそう。車は朝からミラー破損。
薬は薬局になくて、あちこち片っ端から電話して、やっと見つけて走って。
帰ってご飯と、薬(飲むかドキドキ)、薬塗る(手について舐めないように集中力全開)すべて無事終わって、いま次女は昼寝。長女は僕の膝の上でごはん中。
これらすべてワンオペ。
我が家の子たちは本当に、賢い。かわいい。育てやすい。
育てやすいというのは、親のキャパと相対的な価値観の部分もある。実際育てやすいとは思うが、育児の大変さは人それぞれ。
「ぼよよよーん」と高く抱っこするのもなかなかハードな今日だが、水ぼうそうでも機嫌悪くならなく、公園行けなくても理解して我慢してくれる長女は、最高だろう。
布団の部屋に次女を寝かせてるので、泣いた!!と思って様子見に行ったら、寝てた。空耳か。
育児で一番きついのは、睡眠ではないかと思う。日中どんなに頑張っていても、食べて、しっかり寝れば、体力は回復するから。
なのに、夜中に何度も「なに起こしてんじゃコノヤロー!!」ではなく、
「起きたの?かわいい子ね」
くらいの素振りでいなくてはならない。実際、父の自分でさえ、どんな目覚ましよりも強力なのは、朝方の子供の「遊ぼ☆」という誘いだろう。
昨夜は寝たかった。。かなり体力が落ちてて、夜中にのどが痛すぎて起きたので、、しかし、そのおかげで、午前6時からの診察予約を取れたのだ。妻のことは寝かせてあげるわけである。
しかし。。。見事に風邪ひいた。
そう思うと、自分のキャパは狭い。疲れは確かにあったが、疲れて腰も痛くなってたが、昔ほど追い詰めてはいない。これが、寄る年波か。普通に生活すれば、どうしても衰えてはいく。
親が二人いるのは、一人がいっぱいいっぱいでも、もう片方が子供に余裕をもって接してあげられることかなと思う。
親が若い方が良いのは、子供を抱っこできることだと思う。
体中運動不足だが、腕力だけは、抱っこの時間が軽く感じてることからも、強くなっているかもしれない。
妻もありがたいことに、結婚しても鬼嫁になることもなく、大変ありがたく自由にさせてもらっている。仕事バリバリな妻であれば、あるいは家族の収入は増えるかもしれないが、家族の時間も減る。結局は相性の問題で、夫婦とはたいてい何かうまいバランスがあるものだと思う。
たとえば、自分の生きる感覚として、ピンときたことをやるという信念がある。
具体例でいえば、風彩染のプラスになることをしたいのであって、お金のためには動きたくない。
お金はいつも、記号のように思っている。収入があった時は。
逆に、お客様に支払っていただくお金のことは真剣に考えなくてはならない。
こんなことをいう業者は良く存在する。
「風彩染を売らなくてもよいじゃないですか、売りやすい価格帯をご用意ください。」
こういうのは、たいてい初取引の業者だ。今までその全員が恥をかいてきた。
いざ、お客様に対して催事をすれば、お客様がお買い上げくださるのは、業者が歯牙にもかけなかった風彩染なのだ。ここに、バイヤーのレベルの低さが垣間見える。
確かに、織物と違い、染め物の価値というのは値段が付けにくい。
だが、そんなことを言ったら、世の中に印象派の画家は存在しないだろう。全部バロックか?となる。
もう10年以上前だが、僕らが問屋に送った作品を、値札を付けて呉服屋に送るのが問屋の仕事だが、いざ展示会前日、呉服屋に到着して驚いた。風彩染の作品すべて、送ってこなかったのだ。
「高い作品ばかりあるという印象を避けるため」というのが言い訳。
心の底から侮蔑の気持ちを抱き、すぐさま残りの作品を送ってもらった。
そして、いざ催事が始まり4日間。
お嫁入したのは全部風彩の作品たち!!
問屋の言うこと聞いてたら、逆に言えば0点ですよ。
ということで、世間の大人は、責任が取れない人が多いです。
子供の方が、よっぽど倫理観の中で「恥」を知っている。
二人の名前に「由」の字を僕は付けた。
これは、「由とする」という意味。
自を前に付ければ、自由。
由とする何かを持っていれば、時間の無駄はない。
よくできたドラマや映画のように、すべてに納得がいき、心を燃やすことが出来るから。