みなさんお久しぶりですーーーーーー!!
お元気ですか!?
本当にご無沙汰しております☆☆
一真工房は、九月はずーーーーっと全員展示会でございました。
僕はというと、浦和、久留米、千葉、長崎と廻っておりました。各地で、とても大切な出会いや、すばらしい経験をいたしました。少しずつでも、書いていけたらええなと思っています。きっと全員は書けないけど、みんな大切な一期一会の出会いでした。お客様も、店員さんも。
まずは、浦和。
僕のデビュー二戦目です。
池袋の店員さんも来るということで、意外に早い再会に、ワクワク☆☆
まずは搬入日から☆ここで、僕を店に導いてくれた店員さんと再会♪ほかの店員さんも、明るくていい感じ☆☆
そして、いきなりのお客さん♪この方、
なんと漫画家さん。いやあ、そら、もう話あいますよ☆(画像横向きですいません、不慣れで直し方がわかりませーん)
この方、最終日まで毎日来てくれてはりました。いつも、なんとなく場が和やかになったり、楽しくて、もう身内。
そういう方がいらっしゃる店って良いですね。
出会えて嬉しかったです。
すっごく黄色の風彩小紋の似合う方、もう、出会ったときから先輩にそっくりで。。(笑)
本当にいい人で、僕らの空間だけ展示会場から隔離された感覚でした。
この方、保母さんらしく、最後は飯盒炊爨の火付けの仕方までお教えしました。道理で気が合うはずだ。僕も、大学時代は、子供とキャンプするサークルの会長でしたから。
あと、よその店から助っ人に来ている店員さんたちが地味なのを薦める中、僕がお勧めした黄色の横段風彩。
ばっちり気に入っていただきました☆そう、せっかく着物着るんですから、キレイになって頂きたいです。
どこかの誰かが勝手に決めた年相応、無難なだけじゃ、たとえお値打ちでも、着たいなんて思わないと思うし、ファッションってそういうことじゃないと思うんです。ご自分の顔が主役でしょう??
誰が来ても同じものを薦める売り手や、自分の意見ばかりで、お客さんの意見を聞かない売り手を見ると、悲しくなります。
そして、
「早くうちのとこに来て!!もっとキレイにするから!!」って勝手なことを思っちゃうのです(笑)
でも、実際、きれいになっちゃうのです。
最近、その方の風を感じて、お着物を選ぶようになりました。
つまり、雰囲気や性格で選ぶということです。風彩染も、お着物の雰囲気を意味するものですから。
お客様と同時に、「あれ!!」なんて言って選んじゃうことも。そして、そんなときは似合うのも間違いなく、気に入るのは言わずもがな。
ただ、この選び方が出来るほど、うちの作品は、多岐に渡っているのです。
我が家でなければ、ある程度売り手が決めて、お勧めすることになるのでしょう。
まあ、僕は自分が選んでもらうのが嫌いなので、こういうやり方にしたいし、それが本物やと思うのです。
あと、凄い鋭い洞察力で、ものすごい感動してくださった方、(ああ~写真取り忘れました。。)
もう、夢にまで出てきてくれたらしく、予算の都合で見合そうと、一度はキャンセルしたものを、もう一度欲しいと来店して下さったのです。
5時間いろいろしゃべった末、「着物を始めて、自分の人生を変えたい。」
っていってくださった方。
パリで、仲間と会を開くという、アーティストの方。
親子さんでいらっしゃって、ばっちり気に入るものを見つけて、意思疎通ばっちり。
きちんとしたものを、親から娘へと継いでいかれる家系の方。
たくさんの方々。
飲みに行った店長方。
数々の思い出が出来て、とっても楽しい日々でした☆
ありがとうございました!!
あと、お話は変わりますが、永松先生のことを。
展示会といえば、着付け専門の女性を伴うことが多いのですが、
ずーっとうちの工房がお世話になった方です。
良い方でした。
上品な方で、生まれて初めて、30以上年上の方に、僕はドキッとさせられました。
まだ大学生だった僕と展示会を廻ったとき、お昼ご飯を誘うと、そっと言わはりました、
「どちらに連れて下さいますか」って(笑)
女性は幾つになっても「女性」でいることが可能で、その年齢ならではの魅力を持つことが出来るんやなあ、と初めて感じさせてくれた方です。
いつも、僕を一人前の大人、先生として扱ってくれました。
いや、余談ですが、店員ですらその逆の方がいらっしゃるのです。
年配の方になってくると、接客時に、僕が若いから、自分の方がキャリアがある、自分の言うとおりにしたら間違いないと思い込んでいる方。
(結局、展示会の間に、その勘違いに気づかれるのですが)
本当のプロは、そういう驕りや勘違いから遠いところにいると思います。店員だけや、先生だけの接客になっては、つまらないですから。
永松先生は、どこかチャーミングで、冗談も一杯言って、小島よしおが流行ったときは、
「そんなの関係ねー」
とかいって、展示会中に一緒に踊ったりね(笑)
そして、確かな技術、プロの魂、
何より、、一真工房のことを、僕のことを、家族のように想って下さっていました。
鹿児島での展示会において、、某社の地区長が、ある朝勝手にうちのコーナーを狭い場所に移動して、朝に何時間も取られたとき、
凄い形相で怒ってくれました。
また、岡山で、別の部長が、父ではなくまだ当時不慣れな僕が来たことが気に入らず、うちのコーナーに全くお客様を寄せ付けないという、子供のような、店員さん方もドン引きの指示を出したときも、
二人で呆れながらも、色々と抵抗をしたものです。
僕の、着付けの先生でした。手本でした。
永松先生くらいの年齢の方を見ても、あんなに頼もしかったり、筋が通った方は、まずいません。
本物のプロフェッショナルでした。
ですが・・・
僕が池袋でデビューする数日前、亡くなっていたことを、帰ってから知りました。
6月17日のことだったそうです。
かねてから患っていた癌の、急な悪化でした。
何も実感がわかないまま、受け入れるのが怖いと感じました。
僕は見せたかった。
池袋では、たった一人の戦いでした。
誰も知り合いがいないところに飛び込む。ほかの作家もいる。
そんな中で、永松先生の教えを思い出しながら、不出来でも、初めて出来たことがいくつかありました。
結果は、その会社で話題になる大成功。たくさんの方と、買った、買わない以上に、心を通わせられたことを確信しています。
そして、それを報告したかった。
池袋の少し前、着付けのことでもう一度聞きたいことがあって、電話をしました。
6月16日のことです。
電話は留守番電話に。
僕の疑問は、なんだかふと答えが出てしまって、まあ良いか、と。
きっと、そのときは、もう電話を出来る状態ではなかったのでしょう。
ただ、それでも、ひょっとしたら、その着信を見てくれてたかなって思いたくなります。
それだけでも、まだ良かったなって。
お亡くなりになられてから、永松先生に娘さんがいらっしゃったことを知りました。
ずっと一緒に全国を廻った加藤一真にも、一真けいこにも、家庭のことを話さない人でした。
僕には色々話してくださっていて、「私、こんなことを話したことないんですよ」
と言ってらしたのに。
やはり、本当のプロフェッショナルだったのでしょう。家庭のことを話し、所帯じみたことを言わないというポリシーがあったのです。
時と場合によりますが、それが、最後の教えかもしれません。
今でも、僕は、唯一永松先生が下さったプレゼントの着付け道具を使っています。
結局はこれが形見になりました。一緒に写真を撮ったことも無いのに気付きました。
だから、とても大切な思い出の品です。
特注の、かわいい結び紐。永松先生と、お揃いです。
着付けを終え、巻き直しながら、よく永松先生のことを思い出します。
巻きなおし方すら教えてもらったこと。最初は、五角形結びが出来なくて、何度も教えてもらったけって。
最後に展示会を廻ったのは、去年の二月・三月。
あの、全国一の弱小店を、全国一の店に押し上げた会です。
有終の美でした。
二年くらい前でしょうか、、永松先生は、
「私は、早く、私抜きで、若先生とけいこ先生だけで廻れるようになって頂きたいと思っているんです。」
と言っていました。
立場上、言うはずの無い言葉です。
もしかしたら、自分の命があまり長くは無いことを、知っていたのかもしれません。
もっと教えてもらうことはたくさんありました。
けど、大切な何かは、受け継いでいくつもりです。
僕の結婚式に来て欲しかった。
仕事の、母でした。
今日は台風が近づいているそうで、小雨が降っていますね。
庭には、僕の好きな花が咲いています。