「決定編」
候補に決まったのは四月。
かねてより考えていたものを、そろそろ創りたい。
そう思っていた矢先だった。
候補からの決定は、十数人の京都内での候補に勝ち抜かなければならない。
アイデアは、すでに決まっていた。大物過ぎて挑むのにしり込みしていたもの、
このコンセプト。意味。これは、ただ着物の技術で染めるってだけではつまらない。
もっと明確な理由は、
「風彩染が、動くときにより美しい染だから。」
余談だが、「着物の染を使った◯◯」というので、好きなものの方が少ない。
むしろ嫌悪することが多い。もちろん、全てではないけれど、基本的に、
「え?それ、着物に染められてた時の方がきれいですよね?」と思うものが多いから。なので、
自分が着物以外に染める時は、必ず「揺るがないコンセプト」を大切に考えている。
さて、全くツテの無いカーテン業界をしらみ潰しに当たり、
全く染の染料も違うので、ひたすら情報収集して、嘘もあれば、誰も知らないことばかりで、
調べて調べて、
提出書類である、制作のたたき台プランを作った。これで落選しても、悔いはないと思った。
そして、京都代表へ。
嬉しかった。そして、怖かった。しり込みした。
それは、あまりに変化だから。人が、変わりたくないと思う本能、ホメオスタシスとは、このことか、と。
まだ見ぬ世界に、しり込みするのは初めてだった。いつも、トランジスタシス。変化にワクワクしてきたのに。
「ものづくり編」
今回、レースカーテンを染めるにあたり、重要なことが、
「耐光堅牢度」だった。
これは、日光のもとで耐える力のこと。そのための染料を探して、一般的なプリントカーテンの倍の堅牢度のものを見つける。
しかし、染めるのは、困難を極めた。
染めているときは、こんな色をしている。
もう。本当に、染めていて、面白くない。
本来ならば、出せる美しさが、まったく出せない。悔しい。
というか、染めていて、全然面白くない。「良いぞー、これは綺麗になるぞー」と、想像できない。
作品から、元気をもらいながら創っていたことに気付いた。
作品の完成とは、その全工程を言うことに気付いた。
面白くなったのは、本発表の20日ほど前でしょうか。正月返上で、三が日は、朝の5時まで染めてた。
12月31日は、11時50分にその日のキリの良いところまで終わらせ、ガッツポーズした。
しかし、完全に返上は悔しいので、除夜の鐘もついたし、妻の手製のおせちも食べたし、初詣もした☆
生地は、カーテン業者に提案されたものに染めていたら、「こんな普通のものに染めるのですか?」と別のカーテン業者の人に言われ、富山まで探しに行った。カーテン業界に無いものを採用した。
下描き一つするのも、着物の何倍もかかった。
柔らかすぎて、ほんの少しの線を入れるにも、鉛筆が触れただけで動く。
だが、これが動くと、縫い合わが揃うという、普通のカーテンに無い良さが消えてしまう。
少し触っては動き、置きなおし。
発狂しそうだった。
一つ一つの工程で、失敗した。誰も教えてくれない、ということは、こんなにもすべて失敗するのかと思った。
そのたび、イライラしながら、確かに挑戦していることへの実感があった。
レースカーテンに染めるとなると、着物と同じようなことをしていると思われるかもしれない。
でも、実際は、まったく別の業界のことだった。
たとえるなら、
「油絵を描いている人が、水墨画に転向して、同じような絵を描こうとすること。」
「漫画を描いている人が、アニメ監督をやること。」
「卓球する人がテニスをすること。」
といった感じだろうか。違うか(笑)でも、ほんとに、あらゆることが違う。
今回、同じ素材・染料・技法で暖簾も染めたが、暖簾とレースカーテンは、まったく違う。
暖簾は、迷わない。そういうものなのです。
そうして、3種のレースカーテンと、暖簾が出来ました。
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